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思いやりの輪を広げて

 もし、ぺットに対する動物保護法を家畜にも考慮をするとしたら、ほとんどの畜産行為は違法として扱われるでしょう。本当に犬や猫は、鶏や豚と牛とそんなに違いがあるのでしょうか?前者は残虐行為に 対し法的保護をうけ、後者 は実際にまったく保護をされていませんが、両者にはそれ程の違いがあるのでしょうか?

 ほとんどの人は、個人として動物たちがどのように虐待されているかということを知りませんし、実際に虐待を目にする人はさらに少ないため、畜産動物に対する軽視が継続してきました。ひとたび認識をすると、ほとんどの人はぞっとします...これは 動物の権利を信じるからというのではなく、動物が痛みを感じることができると信じ、普通に道徳 的な人であればできる限り痛みを避けてあげようとするからです。

 

「ちょっと立ち止まり、考え、「もし私が君を知っていたら食べないよ」と 言うことのできる能力を誰もが持っていると思う。 そしていくらかの面では、本当にこんなにシンプルなことなのだ。」

トム・レーガン博士 ノース・キャロライナ州立大学、哲学教授 『僕のテーブルの牛』

「歴史的に、人は倫理的な思慮が到達したとしたものを、無知で踏破すべき ものだったとし、さらに拡大してきた。はじめは家族から部族へと広がり、 後には宗教や人種や国家の枠を超えた。

多種の生物をこのような思慮の判断の枠内に含むということは、今日の穏 健な見方からすると考えられないことかもしれない。だがいつか、数十年 後か数世紀の後、このようなことは単なる「文明的な」行動の必須事項と 思われる日が来るかもしれない。」

雑誌『エコノミスト』「人は動物にどんな貸しがあるか」1995年8月19 日

 

動物を奴隷にし、去勢し、実験を行い、切り身にする人間は、動物が痛み を感じないふりをするというあからさまな傾向がある。もし罪の意識をも ったり後悔をすることを不安に思わずに人間が動物を思いどうりにしたり、 働かせたり、着たり、食べたりするのであれば、人間と「動物」の違いが はっきりとしていることは必須だ。

しばしば多種の動物に対して無情に行動する人間にとって、人間だけが苦 痛を感じることができると言い張るのは見苦しいことだ。他の動物の行動 は彼らの本当にもっともらしい要求をみせる。動物たちは人間のようであ りすぎるのだ。

カール・セイガン博士とアン・デュルヤン博士 『忘れられた祖先の影』1992年

 
 

「質問は、理性を持つか?でも、話をできるか?
でもなく、苦痛を感じることができるか?ということだ。」

 ジェレミー・べンサム氏
“倫理と法の原則入門“
1789年
 
         

「私たちにとって父たちが彼ら自身を解放した祖父たちの時代遅れの偏見を 批判するのはたやすいことだ。しかし自分の認識から距離を置き、私たちの考えや価値の中から自分たち の持つ偏見を冷静に探し出すことは難しい。」

ピーター・シンガー氏 プリンストン大学 生命倫理学科教授 『応用倫理』 1993年

「人が潔白で自由であるとき、本当の人間としての良さは受け入れる側が (弱者で)力を持たないときにのみ現れる。 人類の根本的なテストで(いまは隠されて、さらけ出されていない)、本当の道徳のテストは、人間の慈悲に頼る者、つまり動物への態度だ。

その面では人類は根本的な大失敗を経験し、その大失敗はあまりに根本的で他の大失敗を導いてきた。」

ミラン・クンデラ氏 『存在の耐えられない軽さ』1984年

「完全菜食の生活は、より高いレベルの意識と精神性を与えてくれた」

デクスター・キング氏 アメリカ市民運動のリーダー、キング牧師の息子 「ベジタリアン時報」1995年10月

         
   
         
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